top of page
検索

品格のある人間として、生きてみる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月10日
  • 読了時間: 1分

品格のある人間として、生きてみる 解脱に達する人々は、感情(千五百煩悩)を根絶するのです。仏教の戒律とは、煩悩を砕く過程の第一歩です。 仏教の戒律は心理学的な実践方法であり、決して宗教的なしきたり・儀式ではありません。このことを理解するのはいたって簡単です。怒りが湧き上がったとしましょう。その感情が心と身体を支配するのです。怒りが人にしゃべらせる。そのとき、まともな社会人として発してはいけない言葉を発してしまいます。怒りが行為をさせる。そのとき、まともな社会人としておこなってはいけない悪行為をしてしまいます。ここで戒律を守るのです。戒律を実践したいと精進する人は、悪語を話したいが話さないことにする。自己を制御する。悪語といえば、妄語(嘘)・粗悪語(乱暴語)・離間語(噂)・綺語(無駄話)という四種類です。 欲の感情が湧き上がったときも、怒りのときと同様に自己制御します。これが戒律を守るということです。要するに、まともな社会人として、品格のある人間として、生きてみることです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p61】

 
 
 

最新記事

すべて表示
六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa  自分がいる状況は確実に危険であると分かれば、そこから脱出したくなります。自分の寝ている部屋が火事になってごうごうと炎が上がっていると発見したら、心は瞬時に脱出したいと思います。「きれいな部屋だったのに」「気に入っていたのに」「模様替えしたばかりだったのに」云々とは考えません。この喩えのように、修行者は一切の現象から脱出するべ

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa  一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 
 
 
一切のものごとの短所を発見する

一切のものごとの短所を発見する  ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発

 
 
 

コメント


bottom of page