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品格のある人間として、生きてみる

  • sapporobukkyoujuku
  • 11月10日
  • 読了時間: 1分

品格のある人間として、生きてみる 解脱に達する人々は、感情(千五百煩悩)を根絶するのです。仏教の戒律とは、煩悩を砕く過程の第一歩です。 仏教の戒律は心理学的な実践方法であり、決して宗教的なしきたり・儀式ではありません。このことを理解するのはいたって簡単です。怒りが湧き上がったとしましょう。その感情が心と身体を支配するのです。怒りが人にしゃべらせる。そのとき、まともな社会人として発してはいけない言葉を発してしまいます。怒りが行為をさせる。そのとき、まともな社会人としておこなってはいけない悪行為をしてしまいます。ここで戒律を守るのです。戒律を実践したいと精進する人は、悪語を話したいが話さないことにする。自己を制御する。悪語といえば、妄語(嘘)・粗悪語(乱暴語)・離間語(噂)・綺語(無駄話)という四種類です。 欲の感情が湧き上がったときも、怒りのときと同様に自己制御します。これが戒律を守るということです。要するに、まともな社会人として、品格のある人間として、生きてみることです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p61】

 
 
 

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