top of page
検索

四つの観察①:lakkhaṇa 特色・自性

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月25日
  • 読了時間: 2分

四つの観察①:lakkhaṇa 特色・自性 特色という用語を解説してみると、結構面白いと思います。具体的な例で説明します。みなさんが愛用しているボールペンを取って、机の上に置いてください。同じブランドで同じ色のボールペンを誰かから借りて、机の上に置いてください。二本のペンは似ているので、いったん机の上に置いたら誰のものか分からなくなるでしょうか。いいえ、そうではありません。よく見てみれば、二本の同じ種類のボールペンの中から、自分が使っていたボールペンを見つけることができると思います。ここは特色・自性という概念がはたらいているところです。自分が愛用しているボールペンと、他のボールペンのあいだで、特別に違うところがあるのです。自分のボールペンだけが持っている、他のボールペンは持っていない特色があります。それがlakkhaṇa ということです。 Lakkhaṇa を見分けることによって一つの現象をもう一つの現象と区別することができるのです。花と葉っぱを区別できます。ブロッコリーとカリフラワーを区別できます。それぞれの品物が、自分が何者かと示す特色をlakkhaṇa と言うのです。自分が持っている特色なので、自性とも言います。もしいくつかの品物の特色がまったく同じであるならば、区別は不可能です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p85】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page