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四つの観察①:lakkhaṇa 特色・自性

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月25日
  • 読了時間: 2分

四つの観察①:lakkhaṇa 特色・自性 特色という用語を解説してみると、結構面白いと思います。具体的な例で説明します。みなさんが愛用しているボールペンを取って、机の上に置いてください。同じブランドで同じ色のボールペンを誰かから借りて、机の上に置いてください。二本のペンは似ているので、いったん机の上に置いたら誰のものか分からなくなるでしょうか。いいえ、そうではありません。よく見てみれば、二本の同じ種類のボールペンの中から、自分が使っていたボールペンを見つけることができると思います。ここは特色・自性という概念がはたらいているところです。自分が愛用しているボールペンと、他のボールペンのあいだで、特別に違うところがあるのです。自分のボールペンだけが持っている、他のボールペンは持っていない特色があります。それがlakkhaṇa ということです。 Lakkhaṇa を見分けることによって一つの現象をもう一つの現象と区別することができるのです。花と葉っぱを区別できます。ブロッコリーとカリフラワーを区別できます。それぞれの品物が、自分が何者かと示す特色をlakkhaṇa と言うのです。自分が持っている特色なので、自性とも言います。もしいくつかの品物の特色がまったく同じであるならば、区別は不可能です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p85】

 
 
 

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