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四つの観察②:rasa 作用

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月28日
  • 読了時間: 1分

四つの観察②:rasa 作用 ものは「ある」と一般的には思っています。実はものがあるのではなく、さまざまなはたらきがあるのです。このはたらきを認識して、ものだと思っているのです。 何かを指して「ボールペンだ」と言ったとしましょう。しかし何を指してもいいわけではありません。「ボールペン」と言えるためには、そのものが何かの仕事をこなさなくてはいけません。ある品物がおこなうはたらきに対して、「ボールペンだ」と言うのです。プラスティックの筒をボールペンとは言いません。何かの品物に「マイク」と言います。その場合は、その品物がある特定の仕事をしているのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p86】

 
 
 

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