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因縁により生じるものは、無常に決まっている

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月28日
  • 読了時間: 1分

因縁により生じるものは、無常に決まっている

 理論的に説明すると難しく感じるかもしれませんが、答えは簡単です。お釈迦様が達した一切の現象に対する結論は、無常・苦・無我という三相です。今、修行者には、現象の因縁関係が観えています。因縁により生じるものは、無常に決まっているのです。自分の力で無常に気づけないならば、あえて「現象は無常である」と観るように、少々注意すればよいのです。無常・苦・無我はただの言葉です。どんなはたらきについてこのラベルの言葉を貼ったのか、知る必要があります。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p114】

 
 
 

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