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因縁は多次元的な関係

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月4日
  • 読了時間: 1分

因縁は多次元的な関係

 因縁関係は線形的にも並列的にも起こります。例えば、部屋で本を読むことができます。光が原因で本が見えます。この場合は線形的な関係ではないのです。まず光があって、光が消えて、それから本が見えるわけではありません。光はありつつ、です。その原因で本が見えつつ、です。並列的な関係を考えると、それは一つに限定されません。並列的な関係がいくらでもあり得ます。本を読むというケースを見ると、光があること、静かであること、本の内容が面白いこと、それを自分が理解できること、自分に時間があること、などなど、いくらでも挙げられます。

 因縁とその結果の関係は線形的なものに限らない、並列的な関係もある、とするならば、因縁関係は一次元でも二次元でも三次元でもなく、多次元なものです。因縁の線形的な関係さえも大いに間違ってしまう人間にとって、因縁の多次元的な関係の理解など想像を絶したものでしょう。お釈迦様も悟りを開いてまもなく、人間に真理を語るのは止めた方がよいと考えられたようです。そのときも、因縁法則は理解しがたいと、明確におっしゃっています。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p103】

 
 
 

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