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固体と液体に分けて見る

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年6月17日
  • 読了時間: 1分

固体と液体に分けて見る 身体を分解して部品単位でみてみるのですが、それを医学的にキメ細かくやる必要はない。「観たらこんなものがありますよ」というくらいです。 胃、大腸、小腸と口から下までセットにして、antaṃ という一言で、食べものが流れる臓器をまとめています。それから腸を外に出そうとしても膜やら血管やら色んなものが繋がっていて出せない。それをantagunaṃ という言葉でまとめている。胸を観たら、大きく肺が見える、心臓が見える、それからお腹のほうで肝臓とか腎臓が見える。そんな感じで簡単に分けていて、それから硬いもの、骨とか骨髄を挙げる。ここまでは固体(①~⑲)で、それから液体のリスト(⑳~㉛)になります。固体と液体に分けて見ているのです。唾液や、鼻水や、涙や、あぶらや、脂肪や、尿といった液体があるのだと。そこで関節のなかも、関節を破ったら液体・滑液が出てきます。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p91】

 
 
 

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