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地の元素の観察

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年7月5日
  • 読了時間: 1分

地の元素の観察 まず、地の元素です。ものは硬いのです。重いのです。身体も硬いのです。重いのです。これを地の元素として確認すれば結構です。要するに、ものごとの硬さ・重さを司るエネルギーの波長になります。そこまで考えると推測したことになるので、そう考える必要はないのです。 自分の身体で、硬い、と感じるとき、地(pathavī)と確認する。重い、と感じるとき、地(pathavī)と確認する。他人の身体についても、他のものごとについても、同じ確認作業を行なってみる。硬さ・重さ、というエネルギーを通して、私の身体、他人の身体、机、などの認識が生まれるのだと発見できると思います。 次に、机がある、ではなく、自分の心に流れてくる硬さ・重さというエネルギーを通して、机という現象が心のなかで起きる、というプロセスを発見するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p105】

 
 
 

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