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地水火風を観る瞑想の仕方

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月4日
  • 読了時間: 2分

地水火風を観る瞑想の仕方 精密に言うと、地・水・火・風の四大元素とは、つち・みず・ひ・かぜ、というわけではないのです。物質が構成されているもとのエネルギーのことです。現代科学の言葉を借りると、素粒子の話になります。しかし人間の五感に頼った認識範囲では、素粒子の発見はできません。素粒子じたいは、見えないように隠れている微量なものではありません。全て素粒子なのです。富士山は見えますが、富士山を構成している素粒子は認識できません。現代科学も、素粒子が存在すると実証するために大変苦労しています。 瞑想が成功して、自と他の区別がなくなって、認識機能のみ残ったところで、心は物質を「本、椅子、山」などの現象ではなく、素粒子として、エネルギーの波動として認識するのです。そのとき、心は「地・水・火・風」という四種類の波動を見つけるのです。またいくつかの微妙に違う波動がありますが、全ての物質は地・水・火・風という四つの基本波動でできているのです。ですから、四大元素と名付けるのです。 何兆円も金をかけてつくる「大型ハドロン衝突型加速器(Large Hadron Collider / LHC)」がなくても、瞑想して素粒子の存在を認識することができます。心を成長させることなく、一般的な認識能力で科学データとして発見しようとすると、大変なコストがかかることになります。 お釈迦様が、身体を構成している地水火風をありのまま観察しなさいと教えるときは、我々に素粒子を発見しなさいと指導しているのではないのです。老若男女だれにでも実践できるように、指導されているのです。一般人に分かるようにレベルを下げたわけでも、分かるところだけ教えて理解できないところを教えないことにしたわけでもないのです。身体は地水火風という四つの基本的な素粒子の流れでできていることを発見するプロジェクトなのです。丁寧に実践すれば良いのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p104】

 
 
 

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