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大脳の配線を原始脳に繋げたら、大脳が原始脳を管理する

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月14日
  • 読了時間: 1分

大脳の配線を原始脳に繋げたら、大脳が原始脳を管理する

 このように考えてみましょう。神経細胞がIC だとします。IC がたくさんあっても、何の仕事もしません。正しく配線すると、IC は仕事をします。私たちが日常使っているパソコンなどは、IC の塊です。しかしびっしり配線されています。だから正しくはたらくのです。神経細胞の場合は、細胞から配線が伸びていって他の細胞と繋がります。ほとんどの神経細胞から配線が出ています。それを適当に繋げてみるのです。しかし長い配線もあって、短い配線もあります。このアンバランスの状態でヴィパッサナーの汚れが現れるというわけです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p135】

 
 
 

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