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妄想が確認作業の邪魔をしない状態に達したら、心清浄

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月6日
  • 読了時間: 2分

妄想が確認作業の邪魔をしない状態に達したら、心清浄 第一禅定に挑戦する修行者は、まず近行定に達します。ヴィパッサナー瞑想実践のためには、近行定の力でも充分です。あるいは、サマタ瞑想をまったくおこなわないでヴィパッサナー瞑想を始めても、一向に構いません。ヴィパッサナー実践で確認実践を続けると、思考・妄想は暴走しないところまで精神的に進むことができます。サマタ瞑想は結果を出すまでに時間がかかります。ですからサマタ瞑想を抜かして、ヴィパッサナーから修行を始めても構わないのです。サマーディの経験がなくても、解脱に達します。解脱に達するとは、煩悩を寝かしてあげることではなく、壊すことです。ヴィパッサナー実践が進んで、悟りに達するところに近寄ったとしましょう。そのとき、精神状態は第一禅定の近行定レベルです。悟りに達する瞬間で、心は第一禅定の力を持っているのです。というわけで、伝統に従ってサマーディ瞑想が済んでからヴィパッサナーに入る方法を取らなくても構わないということができます。ヴィパッサナーのみの方法は、結果が早いです。 ヴィパッサナー実践する方々は誰でも、妄想に潰されます。それにめげず修行を続けると、妄想の力が弱くなっていきます。妄想が確認作業の邪魔をしない状態に達したら、心清浄を完了したと思ってください。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p75】

 
 
 

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