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威儀の観察の仕方

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月20日
  • 読了時間: 2分

威儀の観察の仕方 呼吸瞑想が終わったところで、次に身体を対象にして瞑想するもう一つの方法が説明されます。また比丘らよ、比丘がgacchanto vā 歩くときは、gacchāmī’ti 歩いていますと、pajānāti 知ります、確認しておきます。ṭhito 立っているときはṭhitomhī’ti 立っているのだと、nisinno vā 坐っているときはnisinnomhī’ti いま坐っていると確認する。Sayāno vā 横になっているときは、‘sayānomhī’ti 横になっていると知る。Yathā yathā vā どのように(どんな形で)、panassa また彼の(自分の)kāyo 身体がpaṇihito hoti 動いているか、tathā tathā naṃ それに合わせて、それをpajānāti 確認します。 身体を対象にしたサティ(sati)の実践方法の二番目は、威儀(身体の動き)を観察することです。身体の主な動きは、行・住・坐・臥です。つまり、歩く、立つ、坐る、横になるということ。この四つの行為を不注意で、また他のことを考えながら行なってはならないのです。身体の行為に集中して、気づいて、よく知った上で行なうのです。身体の動きに気づいているならば、必ず集中力も観察能力も向上するのです。人は日常、身体で様々な行為をして生きているのだと思っていますが、それは違います。ほとんど、歩いているか、立っているか、坐っているか、横たわっているかです。そのときの身体の動きのみを感じて集中しているならば、立派な瞑想です。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p72】

 
 
 

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