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安定した精神状態

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月2日
  • 読了時間: 1分

安定した精神状態 近行定か安止定に達した心は、精神的に安定するのです。常に集中力が備わっていますし、感情の波は立ちません。眼耳鼻舌身意から入る情報に、揺らがないでいることができるのです。これは解脱ということではありません。活発にはたらいていた煩悩が睡眠状態になったのです。五根の情報に限られたことしか認識できなかった心が、その次元を超えたのです。解脱に達する仕事は、これからです。 ヴィパッサナー実践の場合は、「感覚を確認する」という作業をおこないます。そのときは、心が激しく攻撃します。その攻撃とは、とりとめのない思考・妄想の流れです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p74】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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