客観性を育てるために修行が必要
- sapporobukkyoujuku
- 9月27日
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客観性を育てるために修行が必要 多数の意見をまとめて一つの意見にしても、それも客観的な意見だとは言い切れません。多数の意見はもともと、主観に汚染されていたので、まとめられた意見も主観に汚染されているからです。 このような状況に我々は生きているので、常に心の中で「疑」に悩まされています。曖昧、優柔不断、中途半端、半信半疑などの状況では、人は悩むばかりです。この問題を解決する唯一の手段は、主観でものごとを見ることをやめて、客観的になることです。 しかし、生命はもともと、ものごとを主観で見られるようにできています。自分の都合でものごとを判断するようにと、生命はプログラムされているのです。ですから、客観性を育てるために修行が必要です。 俗世間の教育で学ぶ客観性は、精密ではありません。曖昧です。しかし、お釈迦様が推薦するヴィパッサナー実践は、客観性を精密に完全に育てる方法です。その方法によって客観性が身についたら、それは抜群の智慧になります。ありのままの真理を発見できるようになります。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p36】
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