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対象に依存して生まれる感受 

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年8月7日
  • 読了時間: 1分

対象に依存して生まれる感受 Sāmisaṃ vā sukhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘sāmisaṃ sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Nirāmisaṃ vā sukhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘nirāmisaṃ sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Sāmisaṃ vā dukkhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘sāmisaṃ dukkhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Nirāmisaṃ vā dukkhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘nirāmisaṃ dukkhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Sāmisaṃ vā adukkhamasukhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘sāmisaṃ adukkhamasukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Nirāmisaṃ vā adukkhamasukhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘nirāmisaṃ adukkhamasukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti.あるいは、欲に関わる楽を感受すれば〈私は欲に関わる楽を感受する〉と知ります。あるいは、無欲に関わる楽を感受すれば〈私は無欲に関わる楽を感受する〉と知ります。あるいは、欲に関わる苦を感受すれば〈私は欲に関わる苦を感受する〉と知ります。あるいは、無欲に関わる苦を感受すれば〈私は無欲に関わる苦を感受する〉と知ります。あるいは、欲に関わる非苦非楽を感受すれば〈私は欲に関わる非苦非楽を感受する〉と知ります。あるいは、無欲に関わる非苦非楽を感受すれば〈私は無欲に関わる非苦非楽を感受する〉と知ります。 これだけで、vedanā・受のセットは全て終わります。変わるのはこのsāmisa、nirāmisa という言葉だけです。受は、苦と楽と非苦非楽の三つですが、この三つの受はsāmisa か、nirāmisa かと確認するのです。そうすると確認できる感覚は六つになります。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p137】

 
 
 

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