対象に依存しないことで生まれる感覚
- sapporobukkyoujuku
- 8月9日
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対象に依存しないことで生まれる感受 Nirāmisa はsāmisa の反対で、何かに依存しないで生まれる感覚です。何かに依存しないで生まれる感覚も、苦と楽と非苦非楽の三つに分けています。耳に色んな音が入ってくると、色んな楽・苦・非苦非楽が生まれてきます。そこで音が止まったとします。止まったことで生まれてくる感覚は何でしょうか? 音から離れるとどうなるのでしょうか? 音から離れたときも何かの感覚があるはずなのです。その感覚がnirāmisa なのです。例えば絵本を開けたところで、何か見たこともないきれいな絵があったとする。「あ、これはきれい」と思って覗き込んだとたん、誰かがその本を閉じて持って行ったらどうなりますか? 自分が見たかった対象が消えてしまうのです。対象を見て「楽しかった」のに、その対象が見られなくなった瞬間に、苦しくて腹が立ってしまうのです。そうすると、なぜいま、苦しい感覚があるかというと、対象がなくなってしまったからなのです。それも一時的にはnirāmisa ということになるのです。厳密には、それでは本当のnirāmisa ではないのですが、最初はそういうふうに分析したほうがいいのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p139】
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