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常住nicca 論は完全に間違っていて真理は無常anicca である

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月7日
  • 読了時間: 1分

常住nicca 論は完全に間違っていて真理は無常anicca である

 修行者は、先入観なしに客観的に自分の身体と感覚を観察します。外の世界の現象も観察します。すべては現れては消える、ということを現実として発見します。俗世間が持っているnicca 論は完全に間違っていて、真理はanicca であると発見するのです。

 人々は楽・幸福・愉しみを探し求めています。探すのは構いません。しかし、なぜ幸福を探し求めるのかという、単純な疑問を抱きません。何かを探しているならば、何かを求めているならば、それは「今・ここ」にないのです。「生きることの中に幸福・楽などはない」と言われたら、何の躊躇もなく「あるはずです」ということにします。生きることが楽(幸福sukha)であるということを前提として受け止めているのです。仏道の修行者はそれを客観的に調べてみます。そして、観察する一個一個の現象、またはすべての現象は「楽」ではありませんと、発見します。一個一個の現象がおっかないものであるならば、生きることは全体的にもおっかないものです。世間の持っているsukha 楽という概念に対して、修行者は「事実はdukkha 苦である」と発見します。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p116】

 
 
 

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