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度を越して落ち着いていると進歩がなくなる

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月3日
  • 読了時間: 1分

度を越して落ち着いていると進歩がなくなる

 冷静さupekkhā は必要です。Upekkhā が強くなればなるほど、人は落ち着きます。しかし、度を越して落ち着いていると、進歩がなくなってしまいます。

 俗世間の立場で考えてみましょう。人は自分の状況を見て「これでよいのだ。私は満足だ」という気持ちになると、さらに成長するべきという意欲を失います。しかし「今の状況も悪くないが、もう少々、良くなるのも悪くない」と微妙に不満を持っていると成長します。修行者の心にも、このような問題が起きます。Upekkhā が強烈になると、気持ちがよいのです。それで満足してしまうのです。この満足感が障碍になります。Upekkhā という大事な能力を独り歩きさせてはいけません。他の能力と一緒でなければ良くないのです。さらに、upekkhā 漬けは解脱ではありません。無常なる心所の一つです。心所は無常です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p131】

 
 
 

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