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心の清らかさ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月5日
  • 読了時間: 1分

道を歩むのであれば、その道を歩んでどこへ行くのか、という目的が必要なのです。それが「sattānaṃ visuddhiyă 衆生が清浄になるために」です。この一つの道は、清浄の境地に至るための道なのです。ブッダゴーサ長老が、テーラワーダ仏教の瞑想方法を全てまとめた著書も「清淨道論(visuddhi magga)』というのです。同書のタイトルの元になったのは、この経典にあるvisuddhi magga という言葉です。この方法には、「心の清らかさ」というはっきりした目的があります。心というのは私が付け加えた言葉ですが、お釈迦様が第一に挙げたのは、「sāttanaṃ 衆生の」清らかさのためにという、 衆生が清浄になるための道だったのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.26】

 
 
 

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