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疑は無数の哲学・宗教をつくる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月16日
  • 読了時間: 1分

 「今日は何曜日ですか?」という問いの答えは決まっているのです。もし人が、今日は何曜日ですか、と明確に知っているぐらい、「生きるとは何か?」という問いに答えを見つけた場合は、一切の疑がたちまち消えてしまうので当然のことです。  世のなかでたくさん宗教と哲学が現れたのは、人間に無智があるからです。無智が母親なのです。いまだに「どんな宗教が正しい宗教でしょうか?」という問いに、答えがないのです。哲学の場合も同じです。議論しても、結論には達しないのです。疑が減るどころか強化される、自分の意見にしがみついて他人をけなしたり攻撃したりする、人生は無智のままで終わるのです。  お釈迦様は「生きるとは何か」と、客観的にデータを集める方法を選んだのです。その方法は大念処経で説かれています。ですから、四念処を実践すると正理 (ñāya) に達するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.38】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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