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疑は無数の哲学・宗教をつくる

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月16日
  • 読了時間: 1分

 「今日は何曜日ですか?」という問いの答えは決まっているのです。もし人が、今日は何曜日ですか、と明確に知っているぐらい、「生きるとは何か?」という問いに答えを見つけた場合は、一切の疑がたちまち消えてしまうので当然のことです。  世のなかでたくさん宗教と哲学が現れたのは、人間に無智があるからです。無智が母親なのです。いまだに「どんな宗教が正しい宗教でしょうか?」という問いに、答えがないのです。哲学の場合も同じです。議論しても、結論には達しないのです。疑が減るどころか強化される、自分の意見にしがみついて他人をけなしたり攻撃したりする、人生は無智のままで終わるのです。  お釈迦様は「生きるとは何か」と、客観的にデータを集める方法を選んだのです。その方法は大念処経で説かれています。ですから、四念処を実践すると正理 (ñāya) に達するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.38】

 
 
 

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