top of page
検索

正理 (ñāya)で疑が消える

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月15日
  • 読了時間: 1分

 現代人もいまだに魂について議論しています。いまだに誰も、最終的な結論に達していません。これからも、地球上に人間がいる間は、議論が続くだろうと思います。ということは、議論では理に達しない、という証拠なのです。しかし、「地球が丸い」という意見には、異見がありません。最終的な答えに達する方法が、ここにあります。それは、調べることです。証拠を探すことです。データを見つけることです。それを行なったから、お釈迦様は真理を発見したのです。「生きる」ということについての答えを見つけたのです。いままで人類が散々議論してきて、無数の意見をつくって、どちらが正しいのか分からなくて、悩んでいたのです。どちらが正しいと分からない状態は、「疑」です。「この意見が有力」と言えても、正しいとは言えないのです。この場合も、疑は晴れていないのです。お釈迦様は真理を発見した瞬間、一切の議論から心が解放されたのです。それは、疑が消えた状態です。『Mahāsatipaṭṭhānasutta 大念処経』の実践で、私たちにもこの、疑が消えることを経験できるのです。疑が消えたとは、正理 (ñāya) に達したことなのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.37】

 
 
 

最新記事

すべて表示
用語の意味を知っている

用語の意味を知っている 三相は、現象の世界に関する真理です。涅槃は、現象の次元を乗り越えた境地の真理です。現象の世界に関する真理に、無常・苦・無我という三つの言葉のラベルを貼っているのです。 言葉に引っかかってはいけません。言葉の意味を知ったからといって、真理を知ったことに...

 
 
 
真理は一つですか?

真理は一つですか? 世の中で「真理は一つだ。二つは成り立たないのだ」という考えがあります。これは、ただ言葉として言っているだけのもので、真理を発見し、まじめに責任を持って発表している言葉ではありません。「それでも真理は一つでしょう」という考えは皆、持っています。ヒンドゥ教の...

 
 
 
ヴィパッサナー瞑想の対象

サマタ瞑想とは、精神的に向上することです。ヴィパッサナー瞑想は、清浄visuddhi に達することです。精神的に向上した人の心もある程度は清らかですが、汚れる恐れがあります。清浄に達する人々の心は、当然、精神的にも向上しています。清浄の七段階を紹介してから、アビダンマ・テキ...

 
 
 

コメント


bottom of page