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思考・妄想が暴走しない状態

  • sapporobukkyoujuku
  • 4 日前
  • 読了時間: 1分

思考・妄想が暴走しない状態 サマーディが上がると、集中力が上がります。各サマーディで体感する経験も変わるのです。無色界のサマーディに達すると、心が物質に依存してはたらくことをやめます。 ヴィパッサナー瞑想に入ると、修行者がどんなサマーディに達しているのか、ということは問いません。実践的に言えば、無色界の四つのサマーディに達して、そのままいるならば、ヴィパッサナー実践はできなくなります。ヴィパッサナー実践で、物質(色)のはたらきも、心のはたらきも観察しなくてはいけないのです。ですからサマーディに入ったまま、ヴィパッサナー実践はできません。何かのサマーディに達して、五蓋を睡眠状態にしてもらいます。それから、眼耳鼻舌身意から情報を受け取って認識をおこなう普通の状態に戻って、ヴィパッサナー実践を始めるのです。ここで必要なのは、サマーディのお陰で心が暴走しない状態を獲得することです。思考・妄想が暴走しない状態とは、ある程度は心が清らかになった、ということです。ですから、心清浄というのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p75】

 
 
 

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