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愁いと悲泣が心に生まれない

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月7日
  • 読了時間: 1分

地震が起きたらsati を実践する人と、実践しない人には差があるのだということは事実です。実践しなかった人はひどい愁いと悲泣に陥ってもう立ち上がれなくなってしまう。しかし、satiを実践している人は、別に何のこともなく、そのときそのときのやるべきことをやってずうっと生きているのです。寂しい出来事が起これば、その人も寂しいのです。冬の外気に当たれば、その人も寒いのです。そこで、「sokaparidevānaṃ samatikkamāya」です。気づきを実践することで、恐いと悲泣を乗り越えることです。生きることそのものが苦です。『Mahāsatipaṭṭhānasutta 大念処経』を実践する人々は、色々な悲惨な事件や災害といった苦に遭遇しても、愁いと悲泣が心に生まれないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.29】

 
 
 

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