top of page
検索

愁いと悲泣が心に生まれない

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月7日
  • 読了時間: 1分

地震が起きたらsati を実践する人と、実践しない人には差があるのだということは事実です。実践しなかった人はひどい愁いと悲泣に陥ってもう立ち上がれなくなってしまう。しかし、satiを実践している人は、別に何のこともなく、そのときそのときのやるべきことをやってずうっと生きているのです。寂しい出来事が起これば、その人も寂しいのです。冬の外気に当たれば、その人も寒いのです。そこで、「sokaparidevānaṃ samatikkamāya」です。気づきを実践することで、恐いと悲泣を乗り越えることです。生きることそのものが苦です。『Mahāsatipaṭṭhānasutta 大念処経』を実践する人々は、色々な悲惨な事件や災害といった苦に遭遇しても、愁いと悲泣が心に生まれないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.29】

 
 
 

最新記事

すべて表示
用語の意味を知っている

用語の意味を知っている 三相は、現象の世界に関する真理です。涅槃は、現象の次元を乗り越えた境地の真理です。現象の世界に関する真理に、無常・苦・無我という三つの言葉のラベルを貼っているのです。 言葉に引っかかってはいけません。言葉の意味を知ったからといって、真理を知ったことに...

 
 
 
真理は一つですか?

真理は一つですか? 世の中で「真理は一つだ。二つは成り立たないのだ」という考えがあります。これは、ただ言葉として言っているだけのもので、真理を発見し、まじめに責任を持って発表している言葉ではありません。「それでも真理は一つでしょう」という考えは皆、持っています。ヒンドゥ教の...

 
 
 
ヴィパッサナー瞑想の対象

サマタ瞑想とは、精神的に向上することです。ヴィパッサナー瞑想は、清浄visuddhi に達することです。精神的に向上した人の心もある程度は清らかですが、汚れる恐れがあります。清浄に達する人々の心は、当然、精神的にも向上しています。清浄の七段階を紹介してから、アビダンマ・テキ...

 
 
 

コメント


bottom of page