top of page
検索

愁いと悲泣が心に生まれない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月7日
  • 読了時間: 1分

地震が起きたらsati を実践する人と、実践しない人には差があるのだということは事実です。実践しなかった人はひどい愁いと悲泣に陥ってもう立ち上がれなくなってしまう。しかし、satiを実践している人は、別に何のこともなく、そのときそのときのやるべきことをやってずうっと生きているのです。寂しい出来事が起これば、その人も寂しいのです。冬の外気に当たれば、その人も寒いのです。そこで、「sokaparidevānaṃ samatikkamāya」です。気づきを実践することで、恐いと悲泣を乗り越えることです。生きることそのものが苦です。『Mahāsatipaṭṭhānasutta 大念処経』を実践する人々は、色々な悲惨な事件や災害といった苦に遭遇しても、愁いと悲泣が心に生まれないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.29】

 
 
 

最新記事

すべて表示
六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa  自分がいる状況は確実に危険であると分かれば、そこから脱出したくなります。自分の寝ている部屋が火事になってごうごうと炎が上がっていると発見したら、心は瞬時に脱出したいと思います。「きれいな部屋だったのに」「気に入っていたのに」「模様替えしたばかりだったのに」云々とは考えません。この喩えのように、修行者は一切の現象から脱出するべ

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa  一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 
 
 
一切のものごとの短所を発見する

一切のものごとの短所を発見する  ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発

 
 
 

コメント


bottom of page