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感情が絡んでいる

sapporobukkyoujuku
10月2日
読了時間: 1分

欲・嫉妬・怒り・憎しみなどの感情が絡んでいるから、心に落ち着きがないのです。心が混乱すると、勉強も仕事も商売も金儲けも平和に生活することもできなくなるのです。金儲けを狙って瞑想することで、自分の心の欲に充分燃料を与えているのです。燃料があるならば、欲はごうごうと燃えるのです。それで精神的に混乱するのです。心が混乱すると、勉強も金儲けも失敗するのです。もとに戻ります。混乱していたから、それを治すために瞑想を始めました。瞑想をしてから、混乱に陥りました。ではまた、混乱を治すために瞑想を始めることでしょう。ブッダの実践には、この悪循環はないのです。涅槃を体験するために実践するのです。涅槃とは、心の煩悩がなくなったところで、心が経験する究極な安穏なのです。もとに戻ることはありません。精神的に落ち着いて、心が感情に振り回されないならば、商売も勉強も人間関係も良くなるのは当たり前の話ですが、それを目指すと、とんでもない悪循環に陥って元の木阿弥になることを憶えておきましょう。ですから仏道を歩む人々は、解脱・涅槃を目指すべきなのです。

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p41

 
 
 

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