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感情に支配されない訓練

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月31日
  • 読了時間: 1分

感情に支配されない訓練 どのように日常を生きるのかということは、俗世間の目的にしても、仏教の目的にしても、同じなのです。それでも俗世間と違うところはあります。学校に入った生徒が完全に校則を守って学生らしく生きていても、頭に知識が入るわけではありません。正しい食事をして、運動で身体のコンディションを保っていても、スポーツマンにはなれません。仏道の場合は、道徳的な生き方が基本条件です。道徳的に生きるだけでも、ある程度で智慧も現れるし、心もある程度、清らかになります。しかし、道徳だけで、すべて終わるわけではありません。道徳を守ることで、欲・怒り・無知の感情に支配されない訓練をするのです。罪を犯さない、善行為をする生き方になります。これだけでも、一般人の心と比較すると、そうとう高いレベルの清らかな生き方になっています。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p16】

 
 
 

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