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感覚の変化だけではなく、一緒に心も変化して流れる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月8日
  • 読了時間: 1分

感覚の変化だけではなく、一緒に心も変化して流れる

 瞑想の敵は、雑念・思考・妄想です。それが入ると、確認作業はできなくなります。修行者はギリギリまで、雑念・思考・妄想が現れないように努力します。雑念の割り込みが少なくなればなるほど、感覚変化がくっきりと分かってきます。そこまでできたら、さらに集中力を上げて明確にラベリングしなくてはいけません。思考・妄想の割り込みが、さらに減るように精進しなくてはいけないのです。そのときは、感覚の変化だけではなく、一緒に心も変化して流れることが観えてきます。心の変化も言葉で確認しなくてはいけません。とはいっても、実際にやってみると、言葉で確認できないほど速く心が変化するということを発見します。それでも言葉で確認することを推薦します。なぜかというと、現象がいくら速く起きても、ラベリングしようとすると雑念・妄想に割り込む隙間がなくなるからです。修行者が、「雑念が出てこない」と思ってしまうほど、雑念・妄想の割り込みが少なくなるのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p105】

 
 
 

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