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戒律はお釈迦様の解決策

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月15日
  • 読了時間: 1分

戒律はお釈迦様の解決策 仏典を読むと、お釈迦様がしぶしぶ戒律項目を定めていったことがよく分かります。「戒律項目がなかったときは、たくさんの弟子たちが解脱に達しました。今、たくさん戒律項目があるが、解脱に達する弟子たちの数はずいぶん減りました」とこぼしたこともありました。お釈迦様は戒律項目を定めるたびに、戒律の目的を明確にしていました。繰り返し繰り返し、それを述べるのです。しかし、目的は一項目です。弟子たちが、戒律の目的は煩悩に牙を剥くチャンスを与えないことであると理解しておけば、一億に近い戒律項目も負担にならずに済みます。 ブッダは涅槃に入られる前、「如来が涅槃に入ってから、些細な戒律を適宜に無視してもよい」と説かれました。しかし仏弟子たちには、些細な戒律とは何かと決めることはできません。その基準はないのです。仏弟子たちはこのように決めました。「釈尊の説かれた戒律を犯すことも、説かれていない戒律を設定することも、ブッダの教えの衰退の原因になると、釈尊が忠告なさったのです。ですから、些細な戒律の改良もやめて、釈尊の定められた戒律項目をすべて、これからも守るべきである」と。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p64】

 
 
 

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