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戒清浄の完成

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月28日
  • 読了時間: 2分

戒清浄の完成 戒清浄の場合、在家の方々は五戒、八戒、十戒などを学べば充分です。出家は四種類の戒律を守ります。出家・在家を問わず、戒律を守る目的を理解しなくてはいけません。戒律を守ったからといって、煩悩の根絶はできません。しかし戒律を守らない、道徳を重んじない生活をするならば、我々の生き方は獣の生き方と何の違いもないのです。煩悩の反乱を抑えるために、戒律を守ります。心清らかに保つために、冷静に生活することができるように、戒律を守るのです。時たま牙を剥こうとする煩悩を、その都度その都度、邪魔して抑えるために、戒律を守るのです。 心に煩悩が根づいているので、持戒は初心者には楽ではありません。しかし実践してみると、心が落ち着いてきます。道徳を守ることが自分の自然な生き方になるのです。そうして心が穏やかになったならば、戒清浄は完了です。 解脱に達するまでは、人間は不完全です。いくら注意して生きていても、過ちが起きます。ですから修行者は、日夜「懺悔」をするのです。その日に過ちを犯しても犯さなくても、どうでもよいのです。不注意で何か間違ったことをやった可能性もあり得ます。ですから、癖になるまで懺悔をする習慣を身につけることです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p71】

 
 
 

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