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指導者の説明をあおぐ

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月7日
  • 読了時間: 1分

指導者の説明をあおぐ まずは自分で観察して、自分で確認して、現象のありさまを発見する。瞑想実践をしないときに、自分自身の経験を経典に照らしてみるか、指導者に説明してみるか、どちらかをするのです。これは単純に落ち着いてもらうためだけです。さまざまな経験はあるけれどもそれが何か分からない、という気持ちでいる場合は、精神的に落ち着きません。そこで指導者が「あなたはこれこれのことを発見しています」と言えば、落ち着くことができます。詳しい説明を聴いてもらわなくても、落ち着いて修行を続けるならば、解脱に達することは可能です。ですが、心は常に認識データを捏造します。成長してないのに「成長したのだ」、悟りに達してないのに「悟っているのだ」と捏造してしまうことも大いにあり得るので、指導者の説明をあおぐのが普通なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p91】

 
 
 

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