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普遍的な現象であると発見する

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月12日
  • 読了時間: 1分

普遍的な現象であると発見する 「確認する現象の普遍性を発見するように」というのは、『念処経』のアドヴァイスです。そのやり方とは、① ajjhatta(内)、② bahiddhā(外)、③ ajjhattabahiddhā(内と外)という三ステップで観察するというものです。 具体的な例で説明します。硬さ・重さという本質を持つ地色を発見したとしましょう。自分の身体が地色で構成されていることに集中します。身体の一部が硬いと発見したかもしれませんが、よく集中すると、硬さは身体の至るところにあるのだと分かります。次に、座っている座布団や着ている服などにも同じ硬さというはたらきがあることを発見します。周りにいる人々の身体も、同じ構成であると発見します。それから、すべての物質たる現象には、硬さという色があることを認識するのです。それで地色を客観的な真理として見ていることになります。自分だけの主観的な感想ではなく、普遍的な現象であると発見するのです(現象に対する無常・苦・無我の発見は、この普遍性に達してから起こります)。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p93】

 
 
 

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