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智慧が開発する正しい集中力

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月1日
  • 読了時間: 1分

智慧が開発する正しい集中力 俗世間でも、集中力を楽しむケースは色々あります。ゲームをやったり、映画を観たり、音楽を聴いたり、面白い本を読んだりすると、楽しいでしょう。あの楽しみは、他のことを忘れて「いま」やっていることに集中するから起こるのです。ゲームなんかはバカバカしいカラクリです。何の意味もないものです。しかし、やっていると釘付けになる。他のことを忘れてしまう。この状況を脳は「楽しみ」だと解釈するのです。しかし音楽・映画・ゲーム・テレビ番組などが、瞑想の一環だと思ったら勘違いもいいところです。それらは人々の貪瞋痴という感情をかき混ぜる作業なので、瞑想と正反対の機能です。この例は、ただ集中力によって楽しみが生まれるのだと言うために使いました。智慧が開発する正しい集中力を育てるためには、歩いたり、坐ったり、立ったり、食べたり、飲んだり、服を着たり、着替えたり、といった行為をするとき、正知を持って行なうことです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p80】

 
 
 

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