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智慧に執着しない

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月18日
  • 読了時間: 2分

智慧に執着しない Atthi kāyo’ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā hoti. Yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya anissito ca viharati, na ca kiñci loke upādiyati.そして、かれに〈身がある〉との念が現前します。それは他でもない、智のため念のためになります。かれは、依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがありません。 「身体がある(atthi kāyo)」と修行者が気づくのです。この場合、kāyo とは呼吸です。しかし「ある(atthi)」は、実体として存在する、という意味ではありません。際限なく生じて滅する呼吸というはたらきがある、という意味です。「生じて滅する流れ」なのです。何の実体もないのです。発見する智慧とは、ただ、これだけです。ありのままの現象で、明確に現れている現象なのです。瞑想経験がない人であっても、理解しがたいはたらきではないでしょう。しかし瞑想しない人々の心は、大量の固定概念、先入観などで覆われているのです。何事にも深い意味があるはずだと、妄想するのです。修行者が、「因縁に依って生じて滅する現象なのだ」と発見することで、先入観、固定概念などは破れてしまう。これがsati 気づきが現れたことなのです(sati paccupaṭṭhitā hoti)。大念処経の「念処」とは、気づきを確立することです。呼吸瞑想で気づきを確立したことになったのです。これにまた、智慧とも言えるのです。この智慧によって、この気づきによって、この世の何ものにも頼らないで、何ものも拠りどころとしないでいられるようになります(anissito ca viharati)。この世の何ものにも執着しないようになるのです(na ca kiñci loke upādiyati)。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p70】

 
 
 

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