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根本的な衝動が薄れていく

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月25日
  • 読了時間: 1分

根本的な衝動が薄れていく ヴィパッサナー実践をすると、生きることの本当の姿がバレます。無上の価値あるものではなく、無価値であると発見します。そのとき起こる我が身に対する気持ちの変化を、厭離智と言うのです。 修行者の心に現れる各智慧によって、人格も変わるのです。過患智では、「命は尊い」という錯覚がなくなります。執着も薄れます。すべての生命は、生き続けなくてはならない、という切迫感で必死です。生命は誰でも、何としてでも生き続けたいと思っているのです。生きることで何を得るのかも分からない。なぜ生きるのかも分からない。ただ生き続けたいと思っているのです。これは無知と言います。 過患智が現れたら、生きることが無価値であると発見します。厭離智が現れたら、何としてでも生き続けなくてはいけない、という衝動は消えます。これは大変な人格向上なのです。一切の生命が持っている、根本的な衝動が薄れていく段階です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p50】

 
 
 

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