top of page
検索

概念をかき回すことは、感情をかき回すこと

  • sapporobukkyoujuku
  • 6 日前
  • 読了時間: 1分

概念をかき回すことは、感情をかき回すこと思考・妄想するとは、概念をかき回すことです。各概念には何かの感情が付いています。例えば金、食事、教科書、ライバルなどの言葉は、心にとっては概念です。これらの言葉を一つ一つ読むと、各概念に何かの感情が付いているのではないでしょうか? その感情は人によって違います。言葉に感情が付いているのではなく、主観的な概念に感情が付いているのです。つまり、心の中で概念をかき回すことは、感情をかき回すことになります。ですから思考・妄想するたびに、煩悩が増えるのです。 心が常にやっているこの仕事は、ヴィパッサナー実践にとっては仇敵です。仇敵が活発にはたらくと、ヴィパッサナー実践を続けることはできなくなります。戒律を守っているのに、心が破れているのです。そのとき、近行定か安止定があれば、この問題は解決します。心が汚れていない状態になります。それで落ち着いて、妄想に邪魔されることなく、観察することができるようになります。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p74】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見解は捏造した概念の組み合わせ

見解は捏造した概念の組み合わせ 見解とは具体的にはどういうものでしょうか? 「私がいる」「私に魂がある」「世界は神が創造したものである」「全知全能の神がいる」「死後永遠の命がある」などです。宗教と哲学は組織化された見解なのです。すべての迷信も、極めて厄介な見解です。人間のあいだで一体どれくらい見解があるのか、知るすべもありません。古い見解を受け継いだりもしますし、他人の見解を学んで受け取ったりもし

 
 
 
捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくる

捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくる 捏造する段階は、どうしようもありません。ネズミの死骸を見て、「ご馳走だ」と捏造することは、カラスにとって問題ではありません。しかし、人間がネズミの死骸を「ご馳走だ」と捏造したら困った結果になります。ですからかならず、捏造はその生命の都合に合わせて、自然に起こります。もし捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくったならば、それは仏教用語で「見解」と言い

 
 
 
見解の世界から脱出

見解の世界から脱出 見解が人の命を支配しているのです。Diṭṭhi 見解は概念から現れます。我々の概念は正しくありません。各生命は自分の都合に合わせて、六根に入る客観的データを合成して捏造して概念にします。 例えば「草」という単語を考えてみましょう。視力のあるヤギがその対象を見て、「おいしい食べ物だ」と捏造する。人間は「ただの草ではないか」と無関心な態度をとる。それは人間の捏造です。ネズミの死骸が

 
 
 

コメント


bottom of page