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概念をかき回すことは、感情をかき回すこと

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月3日
  • 読了時間: 1分

概念をかき回すことは、感情をかき回すこと思考・妄想するとは、概念をかき回すことです。各概念には何かの感情が付いています。例えば金、食事、教科書、ライバルなどの言葉は、心にとっては概念です。これらの言葉を一つ一つ読むと、各概念に何かの感情が付いているのではないでしょうか? その感情は人によって違います。言葉に感情が付いているのではなく、主観的な概念に感情が付いているのです。つまり、心の中で概念をかき回すことは、感情をかき回すことになります。ですから思考・妄想するたびに、煩悩が増えるのです。 心が常にやっているこの仕事は、ヴィパッサナー実践にとっては仇敵です。仇敵が活発にはたらくと、ヴィパッサナー実践を続けることはできなくなります。戒律を守っているのに、心が破れているのです。そのとき、近行定か安止定があれば、この問題は解決します。心が汚れていない状態になります。それで落ち着いて、妄想に邪魔されることなく、観察することができるようになります。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p74】

 
 
 

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