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欠かせない能力が障碍になるとは?

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月8日
  • 読了時間: 1分

欠かせない能力が障碍になるとは?

 よく調べてみると、十種類の障碍は一つも悪くないものです。必要な能力なのです。それでも、一歩間違えれば解脱の妨げになります。この状況を脳のはたらきを用いて説明します。

 普通の人々は原始脳(獣の脳)の司令で生きています。大脳を優先にした生き方をしていません。原始脳は、生まれるときには神経細胞の配線がすでに完了しています。原始脳にはこれ以上、発達はありません。対して大脳は発達しないまま・配線ができていないままの状態で人は生まれます。生まれてから長い時間をかけて大脳を配線するのです。「生涯学習」とは人気のあるフレーズです。勉強には終わりがない、死ぬまでやりなさい、という意味です。このテーマで言い換えれば、死ぬまで大脳の配線をしなくてはいけない、ということです。それでも未完成のままで死んでしまいます。しかし、大脳の配線は決して終わらない作業ではありません。大脳の神経細胞は約百四十億個と推定されています。他の神経細胞も足してみると、千〜二千億くらいになるそうです。やり方さえあれば、配線を完了することはできると仮定しておきましょう。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p133】

 
 
 

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