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比丘は身において身を観つづけて住むのです

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月3日
  • 読了時間: 1分

比丘は身において身を観つづけて住むのです

 自分の身体であっても他人の身体であっても同じことなのです。なぜ地の要素が生まれるか、なぜ火の要素が生まれるかというようなことも観察する。どのように消えていくかということも観てみる。そこで「あ、これぐらいなのだ」ということが分かるのです。

 Atthi kāyo’ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā 身体というのはこれぐらいのものだ、という理解が生まれてきます。身体というもの、生命というものが、すごく小さくなって地水火風になってしまう。これぐらいだと。それは智慧なのです。そこでちょっとした落ち着きが生まれてきます。執着なしに世のなかで生きていることができるのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p103】

 
 
 

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