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無常・苦・無我と無相・無願・空

  • sapporobukkyoujuku
  • 11月6日
  • 読了時間: 2分

無常・苦・無我と無相・無願・空 一切の現象の本来の姿は、無常・苦・無我です。真理とは、無常・苦・無我なのです。観察実践しない人々の認識は、合成された現象のみです。しかし、観察実践に成功すると、ありのままに観ることができるようになります。それで初めて、「一切の現象は無常・苦・無我だ」と発見するのです。お釈迦様は、無常・苦・無我を互いに異なった別々の概念としては説かれていません。 お釈迦様の説明の仕方は、次のようなものになります。「ものごとは、決して変わらないものだとするべきでしょうか、常に変わるものだとするべきでしょうか?」と問うと、問われた相手は「変わるものである」と答えます。そこで「変わるもの、一定しないものは、楽だとするべきでしょうか、苦だとするべきでしょうか?」と問えば、相手は「苦」だと答えます。「無常であり苦であるものは、私のアートマンである、私の真我である、これこそが自我であると、認めるべきでしょうか? 無我だとするべきでしょうか?」と問えば、相手は「無我」と答えます。このような対話では、無常・苦・無我とは現象の本来の姿であるということ、そして互いに異なる特色ではなく、同一の意味を持っていることを理解することができます。要するに、無常=苦=無我なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p56】

 
 
 

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