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無常随念・苦随念・無我随念

  • sapporobukkyoujuku
  • 9月19日
  • 読了時間: 2分

無常随念・苦随念・無我随念 瞑想を始める前に集中力があった方がよい性格の人々もいます。落ち着かない性格、とりとめのない妄想に引っかかってしまう性格の方々は、最初はサマタ瞑想で落ち着いた方がよいです。しかし、その人々の中で、理性的な切迫感を感じる人である場合はどうすればよいのでしょうか。そのときには、無常随念・苦随念・無我随念という瞑想があります。見るもの、聞くもの、感じるもの、考えるもの、なんであろうとも、「これも無常だ、あれも無常だ」というように、無常という言葉で確認するのです。または、苦という言葉か、無我という言葉を使いますが、選ぶ言葉は素直に自分に理解しやすい言葉でなくてはなりません。 無常随念・苦随念・無我随念という瞑想、それはヴィパッサナー瞑想の言葉を使うサマタ瞑想です。しかし、観察するのは呼吸でもなく、地遍などでもなく、真理なのです。そしてある程度、集中力が上がると、修行者は自然にヴィパッサナー実践に乗り換えます。 それから、ヴィパッサナー瞑想を『念処経』のとおりに進む場合は、智慧が現れてきます。自分が確認する一個一個の現象は、無常であることに、また苦であることに、また無我であることに、気づくのです。そのとき、現象が無常だ、苦だ、無我だ、と確認することになります。これが、無常随観・苦随観・無我随観です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p32】

 
 
 

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