top of page
検索

無智への道

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月1日
  • 読了時間: 1分

 修行として気づきの実践をする場合は、価値観を基準にしてはならないのです。心に怒りが生まれたら、怒りが起きた、と気づくのです。しかし、「怒りは嫌だ、怒るのは当然だ、心を清らかにしようとしたところで怒りが起きたので私はだめな人間だ」などなどの価値観は絶対禁止です。気づきを実践すると良い気持ちになりました、心が落ち着きました、楽しくなりました、などの価値観も禁止です。価値観とは、良い 悪い、高い・安い、善・悪、好き・嫌い、欲しい・いらない、敵・味方、苦・楽、などの虚妄分別なのです。二分化することです。虚妄分別は、無智への道です。智慧ではありません。価値観は智慧の敵なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.51】

 
 
 

最新記事

すべて表示
用語の意味を知っている

用語の意味を知っている 三相は、現象の世界に関する真理です。涅槃は、現象の次元を乗り越えた境地の真理です。現象の世界に関する真理に、無常・苦・無我という三つの言葉のラベルを貼っているのです。 言葉に引っかかってはいけません。言葉の意味を知ったからといって、真理を知ったことに...

 
 
 
真理は一つですか?

真理は一つですか? 世の中で「真理は一つだ。二つは成り立たないのだ」という考えがあります。これは、ただ言葉として言っているだけのもので、真理を発見し、まじめに責任を持って発表している言葉ではありません。「それでも真理は一つでしょう」という考えは皆、持っています。ヒンドゥ教の...

 
 
 
ヴィパッサナー瞑想の対象

サマタ瞑想とは、精神的に向上することです。ヴィパッサナー瞑想は、清浄visuddhi に達することです。精神的に向上した人の心もある程度は清らかですが、汚れる恐れがあります。清浄に達する人々の心は、当然、精神的にも向上しています。清浄の七段階を紹介してから、アビダンマ・テキ...

 
 
 

コメント


bottom of page