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現象は現れては消える

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月17日
  • 読了時間: 1分

現象は現れては消える Samudayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati, vayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati, samudayavayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati.また、身において生起の法を観つづけて住みます。あるいは、身において滅尽の法を観つづけて住みます。あるいは、身において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。 ここからお釈迦様は、呼吸瞑想をありのままの真理を発見する方向へ、智慧が現れる方向へと、指導します。呼吸という機能は様々な原因によって現れる現象なのです。ここまで呼吸に集中して瞑想した修行者には、どのように呼吸という現象が起こるのかと明確にはっきりと観えているはずです。呼吸は初めから付いているものでもなく、永遠不滅なものでもなく、その都度その都度、現れるものです。呼吸には、現れる、起こる、という性質があるのです。言い換えれば、呼吸とは、現れるものです。これはsamudayadhammā と言います。この場合のdhammā は、「法」ではなく「法則」です。呼吸の法則は、「現れること」だけではありません。現れたら、すぐその場で消えるのです。消えること、滅することも法則です(vayadhammā)。修行者は、吸う息が現れて消えること、吐く息が現れて消えることに集中して、呼吸の観察を続けます(samudayavayadhammā)。生じて滅することは諸々の現象の本性であると発見することが、智慧の現れるきざしなのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.69】

 
 
 

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