top of page
検索

現象は現れては消える

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月17日
  • 読了時間: 1分

現象は現れては消える Samudayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati, vayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati, samudayavayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati.また、身において生起の法を観つづけて住みます。あるいは、身において滅尽の法を観つづけて住みます。あるいは、身において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。 ここからお釈迦様は、呼吸瞑想をありのままの真理を発見する方向へ、智慧が現れる方向へと、指導します。呼吸という機能は様々な原因によって現れる現象なのです。ここまで呼吸に集中して瞑想した修行者には、どのように呼吸という現象が起こるのかと明確にはっきりと観えているはずです。呼吸は初めから付いているものでもなく、永遠不滅なものでもなく、その都度その都度、現れるものです。呼吸には、現れる、起こる、という性質があるのです。言い換えれば、呼吸とは、現れるものです。これはsamudayadhammā と言います。この場合のdhammā は、「法」ではなく「法則」です。呼吸の法則は、「現れること」だけではありません。現れたら、すぐその場で消えるのです。消えること、滅することも法則です(vayadhammā)。修行者は、吸う息が現れて消えること、吐く息が現れて消えることに集中して、呼吸の観察を続けます(samudayavayadhammā)。生じて滅することは諸々の現象の本性であると発見することが、智慧の現れるきざしなのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.69】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 

コメント


bottom of page