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現象を三つの角度から観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月6日
  • 読了時間: 1分

現象を三つの角度から観る

 無常・苦・無我とは、現象のありさまを三つの側面から観察することです。その三つの側面は、俗世間的な人々が達している結論を参考にしているのです。ものごとを精密に観察しようともしない人々は、感情的・主観的な立場から、突然、結論に達しています。人々の好み・期待を結論にしているのです。決して理性的・知識的な態度ではありません。

 まず我々は、なんでもかんでも存在しているのだと思っています。ものごとを認識すると、それが「ある」という気持ちが起こるのです。その気持ちを拡大させて、私がいる、世界はある、神がいる、などなどの妄想概念にします。自分が永遠に生き続けたいという気持ちは強いです。「永遠なんかはこの世ではあり得ない」と言われると、あの世で永遠不滅になりたいと希望を変更します。人の認識は常住(nicca)論を前提にしているのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p116】

 
 
 

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