生まれつき目が見えない人々
お釈迦様は「群盲象を撫でる」という例えで、この状況を説明します。生まれつき目が見えない人々の前に、象を連れてきて、「象とはどんな生き物かと説明してくれ」と、その人々に頼みます。一人は象の鼻、もう一人は足、もう一人は尾っぽ、もう一人は耳、またもう一人は身体、などを撫でてみる。それから、おのおの自分の意見を言うのです。身体を触った人にとって、象は山のような存在です。尾っぽを触った人には、ホウキのような存在です。足を撫でた人からすれば臼のような存在です。耳を撫でた人は脱穀に使う箕のような存在だと言います。……互いの意見はあまりにも違うので、お互いに議論を始めるのです。喧嘩までするのです。相手に嘘つき呼ばわりされたら、黙っているわけにはいきません。自分は正直に、自分の経験を語っているのですから。結局、象の姿に関して結論に達することなく、議論だけ、喧嘩だけ続いていくのです。では仮に、この人々が触る場所を変えてみたらいかがでしょうか? 足を触った人は尾っぽも触ってみる、また耳も触ってみる、などです。そうなると、このような結果になります。「象とは臼のようでホウキのようで箕のような存在である」。ではこれが答えになりますか?
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