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生より滅するという現象の方がインパクトが強い

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月28日
  • 読了時間: 1分

生より滅するという現象の方がインパクトが強い

 俗世間のレベルでも、似た現象があります。赤ちゃんが生まれたとしましょう。皆、感動します。楽しくなります。しかしそのうち、誕生のときの喜びが消えてしまいます。子供が亡くなったとしましょう。そのときの悲しみは、誕生の喜びよりは強烈です。忘れられません。月日が経っても、心には悲しみが刻まれています。要するに、生じるという現象より、滅するという現象の方がインパクトが強いのです。

 観察する修行者の心は、現象の生滅ではなく、現象の滅に引っかかってしまいます。すべての現象はことごとく生滅の流れで成り立っているのだと発見したときも、心に強いインパクトが入ります。そのインパクトにより、煩悩が揺らいでしまいます。煩悩とは無知な人々が余計につくる感情であると、分かってしまうのです。 

 現象の本当の姿が生じて滅することであるならば、執着をしたり、欲を抱いたり、怒ったり、希望をつくったりするのはあまりにも無意味な、成り立たない、無駄なことであると分かります。ですから、観察から生じる「インパクト」が大事なのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p141】

 
 
 

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