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生命には地水火風しかない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年7月2日
  • 読了時間: 1分

生命には地水火風しかない そこで、この身体に硬い、地の要素がある。流れる液体的な要素がある。それから熱という要素がある。それから空気という要素がある。どうみても、その四つの要素でこの身体ができているのです。身体のなかには熱があって、また空気も色んなところに入っている。それぐらいですよ、と観るのです。 自分の身体を観ても、他の身体を観ても、どこを観ても地・水・火・風しかない。他のどんな身体を観ても地水火風だけなのだ、と、他の生命についても観るのです。固いものと、液体のものと、熱と、空気と、それだけで身体ができている。 犬を観ても猫を観ても、虫やアメーバをみても、その四つしかないのだと。 「熟練した屠牛者かその弟子が雌牛を殺し、四大路で切り分けて坐っているようなもの」という恐ろしい例えが出てきます。屠牛者は牛を殺して肉を切り分けて売っている人々です。そうやって牛の肉を部位に分けて売っているのです。肩肉、ロース、脂身、牛たん、内蔵、テール、骨付き肉、というように分けて、値段をつけて売っているのです。そのように、この身体も地・水・火・風に分けて観てみなさい、というのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p102】

 
 
 

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