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生滅という現象は自分勝手に出てくる

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月25日
  • 読了時間: 1分

生滅という現象は自分勝手に出てくる

 雑念が割り込んだりしている修行者には、このように正知を伴うsati の実践は難しいです。六番目の行道智見清浄のステージに入った修行者になって初めて、できるようになります。

 この世にはときどき、先走りしたがる人々もいるものです。その人々は、無理やり生滅を観てやろうと試します。そのときは、推測や思考が絡んでいるのです。本物の智慧ではありません。先走りする癖を直さなくてはいけません。私は個人的に、このようにアドヴァイスします。「無理に思考を活かして生滅を観る必要はありません。それでも、それは事実ではないのかと異論を考える必要もありません。生滅という現象は、自分勝手に出てきます。自分勝手に出てきたら、生滅だと確認しなさい。そこまでは普通の膨らみ、縮みの実況で結構です」

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p140】

 
 
 

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