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疑は無数の哲学・宗教をつくる

sapporobukkyoujuku
9月23日
読了時間: 1分

疑は無数の哲学・宗教をつくる

 まとめてみると宗教と哲学の課題は二つです。 一、私は何ものですか?二、世界とはどんなものですか? この二つについて、たくさんの創造論があります。自然法則という論や唯物論、唯物論に対立してでき上がった唯識論もあるのです。そこに魂論も割り込んでくるのです。科学者が発見するデータからつくりだす、科学的哲学もあります。しかし誰一人として、論争に勝ってもいないし、負けてもいないのです。みな最終結論に達することができなくて、「そうだと思います」程度で止まります。世にある様々な意見をまとめてみると、「みな知らないから議論する」と見えてくるはずです。知っていることなら、議論・異論は成り立たないのです。簡単な例を出しましょう。「今日は何曜日ですか?」、この問いに皆様がたは議論すると思いますか? 異論が成り立つと思いますか? もしかすると誰かが「◯◯ 曜日と日に名前をつけたのは人間の勝手です。日には曜日名をつけられません」と反論するかもしれませんが、それに関係なく、「今日は何曜日ですか?」という問いの答えは決まっているのです。

 
 
 

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