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直接原因と直接の結果のみを確認する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月20日
  • 読了時間: 1分

直接原因と直接の結果のみを確認する

 因縁法則は、遠い原因ばかり探す愚か者には発見できません。「最初の原因は何なのか? 最初に現れたのは宇宙ですか? 生命ですか? 最終的にはどうなるのか?」などなどを考える人々は、無知のままで留まります。疑が濃くなるばかりで、薄くなることは決してありません。悩みは増えるだけで、減りません。ヴィパッサナー実践者は、直接原因と直接の結果のみを確認するのです。「今、痛みがある。嫌な気持ちが生じる」という確認で充分です。それから、自分が確認した現象とその原因は、確かなものです。曖昧ではありません。推測でもありません。確実なのです。ですから、因縁法則を発見するために、遠い原因ではなく、現象の直接原因のみを観察します。

 ラベリングするという単純な作業を実行する修行者は、人間にとって想像を超えた難しい因縁法則を発見できるのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p110】

 
 
 

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