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真理にしがみつくという問題

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月26日
  • 読了時間: 1分

真理にしがみつくという問題

 優れた修行者は、始めは知識的に、仏法に対して確信を起こします。それから修行を始めました。今はブッダの説かれた教えがそのまま真理であると自分で確認しています。一切の現象が無常・苦・無我であると確認済みです。

 ここで問題が起きます。真理を発見した人が、その真理にしがみつく、という問題です。他に何も見えなくなるのです。真理を知っているので、真理でない現象に対して興味を持つ必要もありません。興味を失います。ブッダの教えこそが真理であると、無常・苦・無我いずれかの特性に心がくっついてしまいます。Saddhā 確信は問題ありません。真理を発見したのですから。しかし、それにくっついてしまうこと(adhimokkha)は、問題になりかねません。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p127】

 
 
 

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