top of page
検索

真理に納得することで起こる確信が善心所のsaddhā

  • sapporobukkyoujuku
  • 25 分前
  • 読了時間: 1分

真理に納得することで起こる確信が善心所のsaddhā

 アビダンマの心所としての確信は、善心所です。腕のいい運転手は、運転に自信があります。それも確信です。しかし、見事に運転できるということは俗世間的な能力で、善行為にはなりません。真理を知ること、理解すること、真理に納得することで起こる確信が、善心所になるsaddhā です。他宗教の方々が神を信じることは信仰であって、saddhā になりません。神とは確信することが不可能な概念です。お釈迦様が説かれる四聖諦、善悪の問題、八正道、無常・苦・無我などの話は、真理です。事実です。議論することも、理解することも、納得することも、確認することも、可能です。この状態はsaddhā です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p126】

 
 
 

最新記事

すべて表示
学生は初めから健全な精神状態でいなくてはならない

学生は初めから健全な精神状態でいなくてはならない  アビダンマの心理学では、俗世間的な心理学を説明する気持ちは初めからありませんでした。解脱を目指す人間に必要な心理学のみを語っています。俗世間の心理学者から見れば、アビダンマ心理学はもの足りなく感じる可能性もあります。仏教の立場から見れば、俗世間の心理学は幼稚的な遊び以外の何ものでもありません。アビダンマ哲学者たちがさまざまな精神病に対して少々説明

 
 
 
観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha

観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha  心・心所の説明でadhimokkha 勝結という心所に出会いました。何かを認識するときというのは、心がその対象から離れないで対象にくっついている状態です。この状態でなければ認識することができません。  優れた修行者が経験するadhimokkha という障碍は、心所のadhimokkha とは違います。『清浄道論』では、adhimokkha とはsaddh

 
 
 
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 

コメント


bottom of page