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真理に納得することで起こる確信が善心所のsaddhā

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月25日
  • 読了時間: 1分

真理に納得することで起こる確信が善心所のsaddhā

 アビダンマの心所としての確信は、善心所です。腕のいい運転手は、運転に自信があります。それも確信です。しかし、見事に運転できるということは俗世間的な能力で、善行為にはなりません。真理を知ること、理解すること、真理に納得することで起こる確信が、善心所になるsaddhā です。他宗教の方々が神を信じることは信仰であって、saddhā になりません。神とは確信することが不可能な概念です。お釈迦様が説かれる四聖諦、善悪の問題、八正道、無常・苦・無我などの話は、真理です。事実です。議論することも、理解することも、納得することも、確認することも、可能です。この状態はsaddhā です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p126】

 
 
 

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