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瞬間の現象に面白いもの、落ち着けるものはない

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月5日
  • 読了時間: 1分

瞬間の現象に面白いもの、落ち着けるものはない

 このやり方で、他の現象も観察してみましょう。結果は同じです。見る・聴く・嗅ぐなど五感の認識の流れであれ、感覚の流れであれ、心の変化の流れであれ、一個一個の瞬間の現象は面白いものではありません。仕方なく、次の現象にたちまち変わらなくてはいけないのです。落ち着けるところ、これでいいやと思えるところは、どこにもありません。たまにあったとしても、瞬時にそれも変わります。この気持ちは俗世間的な言葉でいうならば、恐れ(ヤバイという感じ)になります。 これが苦を観察することなのです。ただ「苦だ、苦だ」と念じることでもないのです。一切の現象が自性として持っている「苦というはたらき」を発見します。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p115】

 
 
 

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