top of page
検索

知る範囲を広げて確認作業をする

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月23日
  • 読了時間: 2分

知る範囲を広げて確認作業をする

 喩えで説明します。台風が公園を通過しました。しっかり晴れました。しかし公園は、落ちた枝・葉っぱや飛んできたゴミで散らかっています。それは迷惑ですが、埃や汚れが洗い流されているぶん、公園は前よりきれいになっています。次の作業は、ゴミを拾って処分することです。ゴミを拾うとなると、ゴミ袋が必要です。ゴミを分別しなくてはいけません。一番便利なやり方は、すべてのゴミを一つの袋に入れるのではなく、分別する項目に合わせてゴミ袋の数を増やすことです。四種類に分別するならば、ゴミ袋は四枚。五種類に分別するならば、ゴミ袋は五枚、という調子です。

 このステージの修行者の言葉の使い方は、ゴミ袋の使い方と似ています。落ちた雑誌を拾う場合は、雑誌であることも知っているし、紙であることも知っているし、燃えるゴミか再生ゴミかも知っています。燃えるゴミなら、その袋に入れる。再生ゴミなら、再生ゴミの袋に入れる。ゴミを拾う人は、それほど苦労しないでこの難しいプロセスをおこないます。修行する人も、膨らみ、痛み、などの言葉を使っているかもしれませんが、それはnāma でしょうか、rūpa でしょうか、と知っています。それから瞬間瞬間、生じて滅するものであるとも、知っています。このように知る範囲を広げて、確認作業をします。このときは、問題なくsati とsampajāna が同時にはたらいているのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p139】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page